努力は報われるか

今日はSNO語録です。


  努力したこと全てが報われるわけではない。

  しかし、努力しなければ報われることは100パーセントない。


これは、私の高校時代の実体験です。

 私の高校は甲子園で準優勝しました 

今、高校野球は夏の甲子園、まっさかり。
私も20年前は高校球児でした。


私が3年生の時は、創部5年目で春の甲子園初出場。
夏も初出場で、なんと準優勝をしました。決勝戦の相手はPL学園でした。


木内監督率いる茨城県の常総学院という高校ですが、
当時は、「常聡旋風」、「木内マジック」など
高校球界を騒がせました。


えー、私はと言えば、レギュラーはおろか、
ベンチにも入れず、スタンドで応援していました(笑)。


それでも、マネージャーと仲がよく、隣にいたせいで
NHKや熱闘甲子園などの映像にちょこちょこ映ってました。
学校内ではけっこう話題になりました(笑)。


箸にも棒にもひっかからなかった私ですが、
小学3年から野球をはじめ、中学まではけっこううまかった方ですね。
中学時代は6時におきて、毎朝4キロ走り、ダッシュや基礎体力の向上をはかり、
夜は素振りを繰り返し、親父に大豆を投げてもらって打ち返すなんていうことも
していました。


高校では、中学を卒業してすぐ、3月26日に召集され、
セレクションがありました。
ランク付けされるのですが、
私は最低のDランク。
C.Dランクの人間は、最後に監督に呼ばれ、こう言われたのです。
「やってても無駄だから、他の部活にいきなさい」


家に帰った私は顔が青ざめていたそうです。
それもそのはずですね。
私は高校でレギュラーになり、甲子園に出て、
プロ野球に行くことが夢ではなく、目標だったのですから。


当然、やめるわけにはいきませんでした。
高い入学金も払ってもらってますし(笑)。
当時はちょうど苦しかったんですよね。
迷惑かけましたが、親父としては、一刻も早く野球を諦めさせ、
錦部製作所を継がせようと言う魂胆だったらしいです。
怖いですね、大人は(笑)。


私は、それからは学校までの2時間の道のりを始発で行き
朝練を毎日しました。


バッティングマシーンを使うのですが2台しかありませんので
100人以上の1年生と争奪戦です。
皆、コンビニで朝飯を買うのですが、私はおふくろにおにぎりを
作ってもらい、それを電車の中で食べてました。
けっこう恥ずかしかったです(笑)。


そのおかげで毎日マシンをとれました。
こんな努力をしていましたが、結局報われることはありませんでした。


それでも、影で役立ったか分かりませんが、
スコアラーという仕事につき、
選手たちをサポートしました。


監督の横に常にいて、監督の戦術や野球への思いも
まさに肌で感じることができました。


甲子園では、名だたる高校との接戦を通し、
興奮し、天に祈り、胸躍らせて、毎日が思い出です。


こんな体験ができたのも諦めずに
努力を続けたからかもしれません・・・・・
しんみり。


このとき、諦めなかった経験、辛抱した経験は
今、職人として役立ったりもしています。


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