創業100年 歯科医療機器製造職人 三代目 錦部実敬

大正10年(1921年)創業。歯科医療機器を製造して90年。
職人集団錦部製作所の公式ブログへようこそおいでくださいました。

錦部製作所 三代目 錦部実敬(にしきべ みつよし)と申します。

創業して100年と一口に申しましたが、この100年という長い年月、企業として職人として生き残るのは一筋縄ではいきませんでした。

   継続は力なり
そして

    一期一会 
私たちを支えてきた言葉です。

 学歴はないがキレものの初代 錦部兼太郎

私ども錦部製作所は大正10年に初代 錦部兼太郎(にしきべ かねたろう)により創業されました。

初代は大変頭の切れる人だったと二代目より聞いております。

当時は、丸い棒状の材料を持ちやすく八角にする鍛冶屋という工程がありました。

鍛冶屋とは刀鍛冶が火を熾した炭などに刀をつっこんで赤めて、そのあとに金づちなどで叩くあの作業です。

あの作業で丸い棒を八角にしていたのです。初代はこの丸棒を八角するという作業をこの業界ではじめて、とある手段で省くことに成功しました。

このことで錦部製作所は他社さまより頭一つ抜け出し、大きな利益をもらたしました。

また、第二次世界大戦で油が配給制になるということで、油の確保のために組合を作る際、大きなメーカーと違い、まとまりづらい職人たちをひとつにした功績で組合の初代理事長も努めました。

しかし戦争で疎開している間に様子は一変してしまいました

職人仲間では一目置かれていた祖父でしたが、逆に利益を上げていたために妬まれもしていました。

戦争が終わり、東京へ戻ると組合から何の話もないままに、組合自体を除名されていました。

他にもいくつかのよくない出来事が重なり、祖父は自分ではつくるのをやめ、いろいろな工場を回って鍛冶屋をやるようなります。

しかし、仕上げはやりません。それは職人のプライドでした。

そうして何年かが過ぎ、私の父である2代目、錦部将教が中学を卒業して、この業界に入るとまた祖父も父を育てるために製品をつくりはじめます。

 何があっても最後まであきらめない二代目 錦部将教

祖父のやり方は、ある程度できるようになったらアドバイスはするが、基本的には自分でやれ!というスタイルで、父である二代目錦部将教(にしきべ まさのり)もまたそうして育てられました。

現社長である父は二十歳で独立し、下請けなどもやりながら私が昭和44年に生まれた後、10年位は順調に進んでいました。

しかしこの業界にも機械化の波が押し寄せ、やがて価格競争にはいりました。
以前の錦部製作所は医療用器具全般(メスなど)を取り扱っていましたが、売上は右肩下がりで落ちていきました。

「このままではマズイ・・」
経営者として選択を迫られたときでした。実は、その時、本気で父は、「私の代(2代目)で終わらせよう」とも考えたようです。

そんなときに白水貿易株式会社から話が舞い込んできました・・・

「フランスにはこのようなものがあるが、
MADE IN JAPAN で作れないか?」

刀鍛冶技術を受け継ぐ錦部製作所としても、職人としても、自分に作れないものは無いと思っていた父は「やってみましょう」と承諾し、それこそ徹底的に取り組みました。

そして世界一の歯科医用超音波チップを作るため、4年の年月をかけて、第一号を完成することができたのです。

試作品の完成後、フランスから同業者が視察(本当は偵察)に来た時、我々の超音波チップを見て、目の色が変わりました。
(まあ、もともと目の色は違いますが(笑))

ちなみにこれは父のギャクです。

父が作成した超音波チップには、フランスではどれだけ頑張っても導入できなかった技術が盛り込まれていたのです。彼らは何度も何度もその技術を触って確認していました。

そう、文字どおり世界を獲った瞬間です。

しかし、この第一号は日の目を見ることはありませんでした…
販売をしようとした際、チップを取り付ける本体のメーカーでもある、フランスのメーカーのサテレック社から大反対にあったのです。

「この本体には錦部製作所の超音波チップはつけさせない」と・・・

この製作のために父が抱えた借金は1200万。
父は超音波チップに、過去の医療用器具とは比べ物にならない製作難易度と、価格競争に負けない製品開発技術と、世界一が見えたという確かな手ごたえをそのとき感じ、そのまま研究開発を続けました。
※気分はエジソンだったそうです(笑)

そして第一号の開発を始めて7年が経過した平成5年8月に、遂に諸外国のしがらみのない“世界一の錦部製超音波チップ”が完成したのです。

製品ページにもありますがそれが現在のP-MAX用の「H3」で、現在では一番人気の製品です。ちなみに市販しているメーカーのものですと「キュレットタイプ」がH3にあたります。

H3の写真はこちらです。

h3-2 こうして2000万円まで膨れ上がっていた借金もこのチップの完成ですぐに返すことができました。

父は今年で67歳となりました。
中学を卒業してすぐにこの業界に入っていますので、

この道、50年以上の大ベテラン。
半世紀という長い時間、職人としてやってきました。
そして現在も現役でバリバリで働いています。

 「職人」という仕事が骨の髄までしみ込んでいる 三代目 錦部実敬

さて、本題の私の自己紹介です。

私も自営業の家族の宿命からご他聞にもれず、記憶のある小学生低学年のときには、すでに「けとばし」と言う機械で刻印を打ったり、型を抜いたり、旋盤を使っていたり、当たり前のように仕事を手伝っていました。

自分で言うのも何ですが、この業界のサラブレットだと思っています。やっぱり自分で言うと恥ずかしいですね(笑)

「小遣いが欲しければ自分で稼げ」が口癖の父でして、この時の手間はだいたい一本一円とか50銭でした。

大学のときには、いくつかの仕事では一から完成まですべての工程を手掛ける製品がいくつかありました。プローラーなどがそうですね。

この時は完成までやれば、半値くらいはもらっていました。

私は三代目になるのが当たり前のように育てられましたし、将来経営者になるようにもしむけられました。(笑)

小さい時から何かを決めるとき、例えば新しい機械を買う時や、新しい製品の値段を決めるときに、父は私にどうするべきかを私に聞きました。

もちろん父と違う意見の場合は、それは却下されましたが、同じ意見のときはまるで自分の意見が通ったように扱かわれたのを覚えています。

私が入社した後も、紆余曲折は一度や二度ではありませんでした。その度に父と力を合わせて乗り越えてきました。

大変だった時に助けてくれたのが

あきらめないという自分たちの気持ちと
そして人との出会いでした。

これまで私たちは多くの人に支えられてきました。

しかし2007年の12月より市販をはじめて、さらに多くの人と出会うことができました。

メーカーさん、商社さん、小売店さん、衛生士さん、そして先生方。

特に先生や衛生士さんの生の声を聞けることは、私たちの製品の向上に大変助けてもらっています。

私たちのモットーは

「術者に使いやすく患者さんにやさしい製品づくり」
です。

すでにパワーでバリバリと歯石を除去するという
患者さん本意ではないスケーリングは終わりをむかえ、

多くの歯医者さんは、

患者さんに痛みをなるべく与えないやさしいスケーリングを

はじめています。

そして、そうした医院では
道具つまり、超音波チップにこだわります。
当社では患者さんにやさしい治療をしたいと思う先生には、より最適な超音波チップをご紹介できます。

これまで15年以上現在まで、P-MAXなどのサテレック社(白水貿易株式会社取扱)の本体用の超音波チップを純正品として、そのほとんどを当社が設計開発し、製造してきました。

「えっ、そうなの?」と思われました先生で、P-MAXなどをお使いの先生は超音波チップのパッケージをご覧ください。

pmaxchip2 このように製造元に当社の名前がございます。

これまでP-MAXの純正品として

約25万本以上の超音波チップ
を世に送り出し、現在も

2万件以上の歯医者さんで愛用されています
ご興味のある先生はこちらをご覧になってみてください。
また、私たちは市販している製品を当社から直接ご購入頂いた先生には、これを読むと歯石除去の効率が上がり、患者さんにも施術者にも喜ばれるという完全非売品の「超音波チップの効果的な使用方法」という
小冊子を無料で差し上げています。

P-MAXをお使いの先生は、すでに私たちのお客様である可能性が高いので、ご希望の先生にはこちらの小冊子を差し上げたいと思いますので、上記のキャンペーンページから備考欄に「P-MAXを使っているよ。資料送って」とお書きの上、送信下さい。

大変長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

とても固い文章になってしまいましたが、ブログ内では製造者しか語れない超音波チップの特徴や企業として80年生き残ってきたノウハウ、はたまた私が正社員を採用するときに百万円以上をかけて勉強した採用活動のノウハウ、さらには韓国人である私の妻がつくる韓国料理のレシピなどご覧頂いた方に役に立つ情報を発信していきたいと思っております。

どうぞ今後とも末永くよろしくお願いします。

所在地 〒124-0006
東京都葛飾区堀切1-19-1

業種 歯科医療機器、歯石除去のための超音波スケーラー用チップの製造、開発、販売

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